バレンタインデーと、発展途上国の子どもたちが摘んだカカオでできたチョコレートの、フェアトレード(ユース)と環境のおハナシ

2016.02.14(土)の本日は、国民的行事ともなったご存知バレンタインディですが、元はといえば商業ベースのお菓子屋さんのマーケティングによって生み出された中身のないお話だというのもまたこれ有名です。そのステルスマーケティングが始まった頃のカカオ豆などのチョコレート原材料の原価などはわかりませんが、21世紀の普段スーパーで目にする板チョコのお値段を考えると、ずいぶん相場も落ちたんだろうなあとは思います。

そこで表題にあります ” フェアトレード ” が出てくるわけですが、つまり、お金により、差別的・支配的・奴隷的な搾取からできるかぎり発展途上国の(おもに)子どもたちを救おうというものです(と考えています)。小学生の間でもチョコを渡す習慣がもう当たり前の光景になっていますが、海の向こうでは同じ年頃の子供達が家計を助けるために学校にも通わずカカオの収穫をしているわけです。フェアトレードについてはすでに多くの方から語られておりますので、この差(格差)についての議論に言及するのは避けます。このフェアトレードの視点は、実は環境保全を考える上でひとつの新しいヒントをくれるからです。

環境と農耕とフェアトレード

昔のひとと自然の関わりかたを考えてみると簡単ですが、命をつなぐために農耕が発展し、収穫を増やすためにさらなる開墾をつづけ、自然の猛威に負けないように土地改良を続けてきました。それがいまの日本では一段落ついたところで、もっといえば食も環境も飽和してしまい、結果的に折り返し地点に差し掛かっているように見えます。また、それは生まれ続ける休耕地や、兼業農家の増加数からよくわかります。

さきほどの発展途上国の子どもたちも、100年ほどの前の日本の光景を考えればやっていることは同じことです。その当時の日本の小学生くらいの子どもたちの大部分は、おそらく勉学より労働時間のほうが長かったことでしょう。しかし、当時の子どもたちに今のような環境を守ろうという強い意識があったとも到底思えません。それじゃあ、今の子どもたちに労働を強いればその思いが発芽するかといえば、またこれも違うでしょう。「ただ、やらされてる」という自覚や思いを植え付ける危険性もあるわけですから。

ネイヴルのどこかのページでESD(Economics for Sustainable Development)=「持続可能な開発のための経済学」としてご紹介と提言をしていますが、ひとまず環境は経済性とのバーター・トレードオフであることに間違いはありません。経済の格差はそのまま環境の格差と反比例し、それどころか、現代は農薬や遺伝子改良などもありますので、その歪みはそのまま子どもたちに、ひいては未来に還元されてしまいます。環境ホルモンの話題などもおそらくそうですよね。

もともと ” 経済 ” という言葉は、「經世濟民(けいせいさいみん、経世済民)」という中国発祥の古語の略語で、そこには「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」という意味があります。今で言う「経済」とは少し違いますが、これは税金がいわゆる ” 富の再分配 ” 機能をもっていることから考えても、資本主義の社会にあってはお金を含む経済性の手綱をしっかり握ることこそが環境を含めた人の暮らしの本来の救いに繋がるのではないでしょうか。何かを保全するという意識を育てるとともに、こうした本来の救済を含む「経済」学を学ぶことがとても重要だとネイヴルは考えています。

環境をフェア・ユースする

拡大解釈のお叱りを受けそうですが、特に根拠が無いわけでもありません。

 

 

 

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