インタープリター資質発掘&育成

インタープリターというライフスタイルと資質発掘

「インタープリター」をご存じですか?環境保全界隈でもなかなか周知されておらず、一般に知られていなくてももちろんなのでしょう。ただ、IT界隈、特にプログラマーやコーダーの方なら直感的に理解していただけるかも。和訳すると ” 翻訳者 ” や ” 通訳者 ” 、” 解説者 ” となります。最近では、環境保全活動の中心的役割を担うことを期待される肩書となっています。

説明にうつる前に。

「日本で一番有名で楽しいインタープリターはだれ?」という質問があれば、「さかなくん」さんでしょう、間違いなく。敬称もちゃんと略さずおつけします。さかなくんさんに仮に「職業ですか?」という質問をしても違う答えが帰ってきそうなのでいたしませんが、知名度や底の深さ、表現力、エンターテイナーとしての資質を考えると、間違いなく日本でトップを突っ走っています。その意味で、ライフスタイルというよりは「ライフハック」に近いのかもしれませんね、彼の場合は。

さてこのインタープリター、Wikipediaでは「自然環境や生態系と人との間を”独自見解”で仲介する能力や職能」といったように記述されています。でも、ネイヴルは少し違った考えを持っています。いやべつにへそ曲がり、とかいうわけじゃないんですよ。

 

声なきモノの声を聴いたフリやツモリはいりません。

鳥も魚も虫たちもニンゲンの言葉は話しません。話しませんし、きっとその必要もないのでしょう。道具一つなく空を自由に飛ぶ鳥たちや水中を優雅に泳ぐ魚たち。自分の体長の何千倍もの高さの樹を縦横無尽に歩き尽くす虫たち。なのに、ヒトの都合で「害」とされたり、また、「滅び」の憂いの対象となったり。ネイヴルは、地球全体のすべての自然や生き物が、どれだけヒトより強い力を持つかをよく知っています。それぞれに与えられた「一生」という仕事にどれだけの差があるかまではわかりませんが、人類が自然環境に対して一方的に異常なほどの畏怖の念を抱いているのは確かです。森や林を切り開いて住処と農耕の基礎を築き、時には氾濫をする川のカタチさえも変えてきました。今の時代にあっても、それでも自然の恐怖への克服や制圧の興味はつきません。でも、怖いものは誰だっていやです。だから、誤解を恐れずいってしまえば、人はもっと主体的に、主観的になっていいのでは。その上で、新しい自然とのつきあいかたや価値観の再萌芽を待ちませんか。そう、ゆっくりたっぷり自分の言葉が出てくることがまず先決です。

 

資質の発掘とは?

インタープリターという言葉に馴染みがないのは、これしょうがありません。ただ、欧米では、ボランティアと同様、すでにひとつの職種として成り立っているようです。いわゆる観光地のガイドさんも広い意味でインタープリターといえるでしょう。ただそれだと、「呼び名を変えただけの”いつもの”パターンか」などと思われてしまいそうです。なので、もう少しだけ踏み込んでしゃべらせてください。

「発掘」と表現している限りは現在すでに目の前にあったり確立されているわけではなさそうですがけしてそうではありません。これについては多くの機関がすでに取り組んでおり、なんらかの答えを導き出しているようです。ただ、ネイヴルがみつめるインタープリター像とは少し趣が違うのです。

 

現役世代が失敗を恐れずに進める環境づくり

書いている自分でもこれが出来るのか?と不安になりますが、経済や福祉、移民などの現状を見れば世界は刻々と姿を変えどこかで帳尻を合わせようと動いていることはみなさん薄々感じてみえると思います。たとえば、いまこの記述は2016年2月現在ですが、アメリカでは猛烈な選挙戦が繰り広げられています。そのアメリカの30代ま での若者や学生、現役の世代に「いまだにアメリカン・ドリームを信じることができるか?」というアンケートをとったところ実にほぼ50%が「無理だ」と答えたそうです。日本より10年ほど前倒しで進む米社会の現実がこれです。

数年後に読み返した時に何を申し上げることができるのかまったく検討がつきません。

 

ヒーローがヒーローを育てる。名選手は名監督だ。

昔から「名選手、名監督にあらず」という格言のようなものがのさばっています。いちいち言い方がいやらしくて恐縮です。逆張りする気は毛頭ありませんが、これは視点の高さの問題だと言いたいからです。名選手が、名誉職として監督職に就任するところをゴールとするのならこの方程式「名選手≠名監督」は成り立つでしょう。監督就任後のビジョンはあるでしょうが、なにしろ組織という基盤があっての監督ポジションです。日本の社会において鼻歌交じりでいられるわけがありません。

「未来の誰かを育てるためにいまわたし(たち)が頑張る」

かなりの自信家のようにとられるかもしれません。「何を得るか」までの議論はどちらでも頻繁に行われます。とうぜん、手段と目的が逆転することがほとんどです。それは、「何を残すか」「何につなげる」「誰に伝えるか」のビジョンがあいまいなせいです。

 

納得のいく理不尽さ、噛み砕ける不条理性

今世にあるものを見渡しても、よくぞこんなバランスで成り立っているな、というものがいくつかあります。これは、言い換えれば、よく誰も文句を言わないな、ということなんですが、表面化していないだけでどこかにしわ寄せがいってることは想像に難くありません。理解できないのはおまえの能力が低いせいだといわれればそれまでですが、感覚的におかしなものはどうやっても理屈で片付けることができません。

Last Modified:2016/02/29
Published:2016/02/01
Author:高村@ネイヴル